色んな人に云ってもらったこと。
云われなければ自覚できなかったこと。
こういうときは、
どうしたって「あのときこうしてれば」という後悔は、
つきものなんだってこと。
もう何百回って、次々に考える。
あのときこうすれば、
もっとこうしてれば、
病院が、
食べ物が、
部屋の環境が、
私の世話が、
私の判断が、
あのクセが、
もしかしたらあれが、
それも悪かったかも、
もしかしたら見逃したことが、
トノは怒ってるかも、
駄目な私を責めてるかも、
あれもこれもどれもかしこも。
いくらでも出てくる。
でも、どれだけ並べても、何を責めても。
トノは帰ってこない。
これだけは、絶対、変わらない。
焼く前は、
トノの体を見てるのが辛くて辛くて、
でも、焼いちゃったら、
本当に、もう絶対に戻ってこないんだって、
わかってたつもりだったのに、
まだ全然わかってないみたい。
私もいまも昔飼ってた猫たちのことで、何度も後悔を思います。
父ちゃんに捨てられた子猫のこと。
東京に出てしまって面倒を見られなかった猫たちのこと。
野良ちゃんをなんとか家に入れようとしたこと。
もっとちゃんとできたはずのこと。
無知すぎてわかってなかったこと。
本当はできたはずなのに。と、いまも思うたびに心が痛くなります。
そして、その後悔の思いはいまここにいるみけきちにぜんぶ注がれています。歴代の猫たちにしてあげられなかったこと。それをすべて彼女に注がれていることを考えると、歴代の猫が彼女を育ててくれてるのかもね。
でもね、そんなこと、いまはね。いいよ。
そんなのわかんないっていって怒ったっていいんだよ?
投稿情報: Hiroko | 2009-01-09 23:47
Hirokoさん、ありがとうございます。
この後悔がなくなることって、ずっとないんですねきっと。
考えたからって何かが覆るわけじゃないけれど、
この先の戒めや知恵になるのなら、
考えることも無駄じゃないのかな。
幸か不幸か、身近な家族を失う初めての体験なので、
色々考えちゃいますが、
スミがいるので、前はむけてます、
ありがとうございます。
投稿情報: yuki_yu | 2009-01-10 11:15