さっきまで近くの友達が来てくれていて、
ゆっくり、沢山、とりとめもなく話していたら、
夕方までの呆然とした気持ちが、少し落ち着いてきました。
スミと私だけだと、ひたすら泣いてばかりだったけれど、
猫先輩である友達の、
飼猫を見送った体験を聞いていると、
ああ、同じだ、と思えて、少し楽になって。
いつものの場所の、いつもの黒猫ベッドに寝かせていると、
あんまりいつも通りすぎて、
ただ寝ているだけに見えて、
起きてこないことが納得できなくて苦しい感じだったけど、
なるべく涼しい場所に、とベッドの置き場所をかえて、
いただいた綺麗なお花を横に飾ったら、
いつも、じゃなくて違う別の空間になって、
ああ、いつものトノじゃない、とやっと区別がついた気がする。
お花って、こんな意味でも重要なのか。
24時間前はまだ生きてた。
まだ呼吸してて、鳴いて、
私によじのぼる元気もあった。
そんな話や、
思ったことや、
後悔や、
そんなあれこれを体験者である友達に受け止めてもらえて、
トノの話や、全然関係のない笑い話をしながら、
これはお通夜なんだな、と。
見送る側の心の整理を、
こうして誰かとするのは、
すごくありがたい。
お通夜は大事だ。
見送る側にとって。
一人で見送らずにすむことが、
とてもありがたいと思う。
スミはまだビクビクしていて不憫だけれど、
あともう1日我慢してね、と謝ってみる。
今度は君が病気にならないか心配だよ。
おかんも、やっとアイスクリームを食べて、
少し頭が回ってきた。
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