トノが入院した2日の未明から、
ずっと、叩きつけるみたいに書いて書いて、
(スミが眠っている間に)
Blogに公開しないままの下書き状態の長文も
山ほど保存したままになっているのだけど、
その文章が、
現在進行形
から、段々、
過去形
を使うようになっているのに気が付いて、
自分ですごく嫌になった。
まだ初七日だって迎えてない。
たった5日。
考えることはトノのことばかりで、
気付くとすぐ、病院でのことばかり思い出してる。
過去なんかじゃありえない。
でも、無闇に泣いていた昨日までに比べたら、今日はずっと落ち着いてる。
トノのことだけに向かいあってた3日間から、
外へ出るリハビリみたいなものだったのか、
あれだけ泣くことがコントロールできなかった状態から、
少なくともまともに人と会話できるくらいにはなった。
トノのことを不意打ちで聞かれても、
泣き出したりはしない。
でも、そのことがトノのことを過去にすることになるのが、嫌。
まだ今だ。
「だった」
と文を結ぶのにすごく抵抗を感じる。
トノの体がまだ目の前にあった一昨日までは、
トノのいない生活なんて考えられない、
一体これからどうしたらいいんだろう、って思ってたのに。
でも、骨壷に小さく収まっちゃった後から、
どんどん、
後ろへ、後ろへと行っちゃう気がする。
新しく記憶が追加されないから、
過去のことをどんどん思い出す。
当たり前のことなんだけど・・・
元気になったね、って云われたけれど、
元気になんかなりたくない、と思う私もいる。
でも、スミは絶対元気でなきゃダメだ。
自分の誕生日、とこだわって4日にしたけど、
さっき手帳を見たら、友引だった・・・
でも、トノは友達を引っ張るような性格の子じゃない。
あれだけにぎやかなお別れになったのは、
きっとトノが、いつも人が大好きだったからだ。
そんでもって、未熟なおかんがちゃんとトノを見送れるように、
気を回してくれたのかもしれない。
喪の儀式とか喪の仕事という言葉は
むかし、いま映画で話題になる前に聞いたことがあります。
儀式という段階を経て、みんな、自分の気持ちをなんとか前へ進めていくことができる。だから儀式という段階を踏むのは必要なんだ、と。
でもね、そんな理屈なんかどうでもいいや。
やっぱりね、現在進行形から過去形にしたくなんかない!
って駄々捏ねてもいいんですよ。
そんなの当然なんだから。
人に迷惑かけたり、我が儘いうのがいやなタイプだとは思うけど、
もうね、週末にかけて有休とか、やすみとっちゃうくらいに
ワガママになってもいいよ。
そんなの、前後で取り返せるほどちゃんと働いているはずだろうから。
いまは子どもみたいに
自分の気持ちをおもいきり甘やかしてあげてください。
いまは、いい子でいる必要なんてないよー。
そんで、スミにとってだけ、いいおかんであってあげてください。
哀しみの真っ最中って、
いつも、ふとした拍子で。
鼻の真ん中が詰まってくるというか泣けてくるんだと思う。
でも、いつも楽しかったことだけを思い出せるようになるといいね。
焦ってやらなくていいのよ。いまは思い切り毎日泣いていていいと思います。
投稿情報: Hiroko | 2009-01-07 01:07
Hirokoさん、毎日、ありがとうございます。
猫と暮らしているのも、トノと出会えたのも、本当にHirokoさんとのご縁のおかげなので、
勝手にウチの猫たちの心の親戚のつもりでいたり。
(みけきちさんはお姉さん)
お別れとか、火葬とか、そういう儀式は
本当に残された側にとって必要なことなんだと感じてます。
目の前にトノの体があったときと、その後では、
明らかに気持ちが違う。
歩いているときとか、電車の中とか、
集中の切れるタイミングは、必ずトノのことで頭がいっぱいになります。
まだ今は、先に進みたくない気持ちの方が大きいです。
スミは、どんどん、新しいペースをつかんでいってくれているんですが。
今まであんまりしなかったのに、昨日ちゃっかり、トノの方の器からもご飯食べてた(それも完食・・・)。
たくましいです。頼もしいです。
投稿情報: yuki_yu | 2009-01-07 14:13