最初に、トノの訃報をここに書くとき、
タイトルを「トノ」と書いた。
何を考えたわけでもないけど、
それ以外、なかった気がする。
それしか頭に浮かんでなかった。
女番社長レナのBlogで、
タイトルが「レナ」とだけ書かれていたのをRSSで見たとき、
あ、同じだ・・・と思ったのと、
だから何となく、読む前にもう、その記事の内容がわかった気がした。
どんな思いも、どんな言葉も、
名前以上に、
この気持ちを表せないんだと思う。
レナ社長はトノのときとほぼ同じくらいの時期に
体調を崩して、
それも原因不明で、
でも、幸運にも一命を取り留めていた。
同じ時期だっただけに、余計に、すごく羨ましかった。
一旦はすごく元気に復活していて、
どうして高齢猫でもこんなに元気になれるのに、何故うちのトノは駄目だったんだろうって思った。
でも、元気になって、もう大丈夫だ、と希望が持てたその矢先に、
また急にぶり返すなんて、ひどく残酷だ。
私は、闘病して見送る気持ちは、まだよくわからない。
トノはストラバイト等で何度も闘病したけれど、
どれも命を落とすような重病ではなく(それでも毎日毎日心配だったけど・・・)、
想像するしかない。
ゴロにゃんさんのオーナーさんから、トノのことで
「病気で長年闘病してもあんなに辛いのに、急に逝かれるなんて」
とお言葉をいただいたけれど、
闘病の最中の家族の気持ちも、すごくすごく辛いだろう。
私のあの元旦夜から2日朝までの、
半日足らずで終わってしまった時間が、
延々とずっと続くのだから・・・
トノは綺麗で、眠っているような姿だったけど、
闘病した子はとても弱って、変わり果てた姿になり、
それもまた辛いものだ、とボランティアさんもおっしゃっていた。
英語の先生のJeremiahも、一旦助かったと思ったのに、
亡くなってしまった、と知らせがあった。
名前を持った子が失われるのは、
猫だってトカゲだって辛いよ。
名前は、たぶん、存在そのものだ。
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