トノのあの日から丁度半年を数える日、
私の父が逝去。
斎場で慌ただしくしている私の元に、
父もトノも知る友達から、
「トノが待ってるから寂しくないよ」
「向こうでトノによろしく」
など、携帯にメールが届く。
ずっと傍にいてほしいとか、
早く生まれ変わってほしいとか、
向こうで待っててほしいとか、
残された側は、てんで両立しえない勝手な希望ばかり並べるけれど、
父とトノがふたり連れ立って、
どこかへ歩いて行く姿は、
何故だかすんなり想像できて、
切なくて切なくて泣けてしまう。
既に、向こうで父を待つ親しい人達は少なくない。
でも、その中で、
ピンと尻尾をあげて、傍らを寄り添って歩くトノがいたら、
どんなにいいだろう。
いつも手帳に入れていた、一番お気に入りの写真は、
御棺に入れてきた。
数少ない、父の笑顔の写真。
これまで身近な人を亡くした経験のない私は、
半年前に、トノのことを経験していたときに、
「トノでこれだけ悲しいなら、父のときはどれだけ辛いんだろう」
と、ある意味覚悟というか、肝が据わったのは確かだ。
あまりに突然だったトノのときの衝撃に比べて、
父はこれまで何度も大病をしていたし、
今回は1年以上も自宅に戻れていなかった。
直前には危険度の高い手術もしたし、
既に余命も宣告されていた。
いずれ来る日に向けての心構えは、多少なりともしてはいた。
それでも、まだ数ヶ月は猶予があったはずで、
今回の医師の説明は、「頓死」。
それまでずっと毎日付き添っていた母にとっては、
その日も普通に会話を交わした父が
前触れもなく、突然逝ってしまったに等しい。
実家に着いてから、経緯を詳しく聞くにつけ、
ああ、まるでトノの時ようだ、と思った。
姪っ子も父の姿を見て「トノみたい」と言った。
「どうしたら起きるかなぁ?」と甥っ子も言った。
眠っているだけのようにしか見えない。
父を前に、
お昼に普通に話だってしたのにと、
まるで寝ているみたいだと、
今にも起きてきそうだと、
まるで実感がわかないのだと、
茫然とつぶやく母の気持ちは、
半年前の私と全く同じものだ。
だからこそ、いたずらに母をはげますのではなく、
無闇に嘆くのではなく、
母の気持ちを理解し、寄り添うことができるのも、
トノのことがあったからだ。
トノのおかげで、
父の長女として、喪主の末席としてのつとめが果たせたと思う。
後から、立派だった、と親戚に言われ、
父にもトノにも誇らしかった。
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