沢山の言葉、メール(携帯、PC、mixi全て含む)も、コメントも、
全て永久保存したいかもしれない。
どの言葉も大切で、ずっと覚えておきたい。
ありがとう。
今まで、幸か不幸か、「別れ」とは無縁で、かなり距離があった。
意思疎通のできるペットを失ったことも、
親戚や肉親など身近で密度の濃い関係の人を失った体験も、
全くといっていいほど、ない。
(大抵、既に疎遠になっていたり、付き合いが遠のいていたり)
そのせいもあって、
今まで、どんな体験かは想像するだけで、
誰かが、この喪失の辛い体験をしているとき、
その気持ちがどんなものか、想像しきれず
(千差万別で、同じもののはずはないけれど)、
近寄りがたいような、
何と声をかけていいのか、言葉をかけかねるような、
ためらうような気持ちの方がずっと大きかった。
病院の待合室で、そこにいる人が私から目を逸らして、
トノの入っている箱をそこにないかのように振舞う、
タクシーを待つそんな苦しい時間に、
居合わせた若いご夫婦の、
ご主人が無言でトノに向かって手を合わせてくれた後、
ためらわずに声をかけてくれたとき、
すごく驚いて、でも、とても嬉しかった。
私なら、きっと声をかけあぐねて、見て見ぬフリをしたくなる、
そんな居たたまれない状況だったと思う。
あのご夫婦も、愛犬が危篤となるような、
心穏やかな状況では決してなかったのに。
おそらく今までの人生を振り返って、
初めて体験する、家族の喪失で、
初めて触れる、誰かからの力強い励ましや気遣い。
こんなにありがたいものなんだ、って思う。
誰もが味方のはずはないから、
このことで「たかがそんなことで」と誰かから傷付けられることも
多少はあるだろうと半ば覚悟していたのに、
それは、今のところ皆無といっていいほど。
トノが、未熟なおかんを守ってくれているのかもしれない。
私自身が、
これから誰かに、
今回もらったような言葉や気持ちを誰かに返せるんだろうか。
上っ面でない、社交辞令に逃げない、
本当に心の底に届く、真心の言葉を。
たった一言、「大丈夫!?」とだけ書いてある文字に、
何より救われるような思いになったり、
相手の優しさの大きさを知るような、深い言葉をもらったり、
どれ一つとして同じ言葉はなくて、どれも大事で。
「何もできなくて」と思ってくれる、
その気持ち自体が何よりも励まされるものだったり。
私自身、誰かのそういう場面に接したとき、
何もできない、と思ったけれど、
そうではなかったんだ、と思った。
こういうとき、どんな慰めも嫌だと感じる人もいるから、
決して同じではないから私の体験でしかないけれど、
悼んでくれる気持ち、
心配してくれる気持ち、
励まそうと思っている気持ち、
ただ悲しいと共感してくれる気持ち、
小さいものも大きいものも、
どれも支えになる。
いつかは誰にも等しく訪れるお別れ。
頭では理解していたつもりでも、まるでわかってなかった。
それに初めて、否応なしに向き合っている。
これから後、何度も何度も体験することになるんだろう。
トノが今教えてくれていることを
目を背けずに覚えておこうと思う。
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