元気なよその猫さんを見ると、
妬ましいやら羨ましいやら。
なんでうちのトノは2年半で逝かなきゃならなかったんだろうって。
スミとトノへの愛情は、平等に、平等に、
えこひいきしいないように、
って常に心がけてたおかんです。
甥っ子姪っ子はよくスミトノの似顔絵をかいてくれます。
(大事に取ってあります)
姪っ子は時々猫語で喋ってくれたりします(くるねこ大和が大好き)。
最後のお別れに、
二人がトノへお手紙を書いてきてくれたのですが、
甥っ子の描いたトノの絵は、
誰に見せても、
「すごい」
って云われた。
だって、あまりにも、トノそのものなんだもん。
甥っ子が「トノ~」って呼んで追いかけてるのに、
肝心のトノは「?」ってきょろきょろぼんやりしてる。
そんな構図の絵に、ほっこり笑ってしまった。
そうそう!正にそうなの。このまんま。
トノは、常に、マイペース。
人懐っこくて、何されてもまず怒らないけど、
自分のテンポ、トノなりの世界があって、
意外と頑固者。
決して人間の都合に合わせてるわけじゃない。
そして、見て描いたわけじゃないはずなのに、
柄がぴったり。
甥っ子の手紙を見た人は、
目の前で花にかこまれているトノをまじまじとみつめて、
「柄、合ってる」
と確認して驚いてたほど。
甥っ子の感性、おそるべし。
甥っ子、姪っ子は、トノとの出会いと、別れで、
どんな思いをしたんだろう。
ずっと最初から、
Blogを書いていてよかったなと思う。
ペット栄養士でall手作り食の人の家の子でもストラバイトを発症したり、
ウニと金魚のえさが大好物(!)という子が20歳を越えてまだまだ元気だったり、
どれだけご飯や健康に気を使っても病気を繰り返したり、
結構適当な世話の子がかえって平気で元気で長生きしてたり、
何だか、色々不条理。
そういうものなんだな、と思うしかないんだろうけれど。
移動火葬車にトノを見送るときに
撮った写真が、最後の1枚になった。
背後の空のイケアの籐ベッドが
軋むみたいな音が
聞こえ・・・た気がするんだけど。
それも何度か。
空耳・・・?
10日前は、あんなに苦しくて、
こんな思いをすると知っていたなら、
猫なんて飼うんじゃなかった、とまで病院では思った。
これからスミと暮らす自信すら、あの瞬間はなくなった。
けれど、トノへの追悼の言葉、
心配や励ましを次々にもらいながら、
1日、1日と過ぎて、
案外、今、思ったよりも平穏な気持ちでいるのは、
悲しいことに慣れたのか、
ただ麻痺してるだけなのか、
私が薄情な飼い主だからなのか、
スミがいてくれるからなのか、
よくわからない。
写真はまだ見る気になれないけれど、
やっと、スミトノ帯を締めました。
自分では見えないんだけど。
直前まで元気だったトノと過ごしたのが着物姿だったから、
着物を着る、ということが、
私にとってトノと切り離せないことになってる。
昨年、気持ち的には親戚に等しい年上の知人が亡くなった時、
当時年に1度も会わなくなっていたし、
患っていた姿も見ておらず、訃報は唐突で、
既に位牌となられた後だったので、
今でもその人が亡くなられた実感があまりない。
ただ、その人が連れて行ってくれた場所へ行ったり、
一緒にいたとき買ったものなどを見ると、
もう相手が存在しないんだ・・・とぼんやりと感じて、
漠然と寂しくなる。
トノの場合、
その比じゃない。
始終どこでも、
痕跡だらけで、
ぼんやりどころかグサグサと、
刺さるように感じる。
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